息子の机の上の物の配置がいっさい変わらない…
ここ数日間、息子の机の物の配置がいっさい変わりません。勉強どころかゲームをしたふうでもない。おそらく机には1秒たりとも向かってないのでしょう。彼は、日中何をしているのだろう?こんな単純なことが聞けない。彼が不登校生だからだ。
不登校生は、学校にいかず外が明るい日中に部屋にこもって何をしているのだろう?どうやって時間を潰しているのだろう?そしてそれが癖になって、日中自分の家にいても違和感がないという体になったまま大人になって、社会人は勤まるのだろうか?
厳しく言えば、それは自己責任。中学卒業しているのだから、そうすることによって将来どうなるか想像がつくだろうに、そうしているということはその子が将来どうなっても自己責任でしょ!という人もいます。そのとおりです。でもそうでしょうか?自分の中学生の頃、自分がどんな大人になるつもりか、なれるのかなんて想像できていなかった。私は逆にだからこそとりあえず、みんなより一歩前に出ていようと、その無知が自分のモチベーションでした。息子は、獣医になりたい、動物が好きだ、となりたいものがすでにあるのですが、今の調子ではムリだ。ムリとわかった時に、不登校生はどう考えていくのだろう。
それでもまだ想像力がなく諦められないのだろうか?それとも薄々自分のことを振り返り第二の目標を探し出すのだろうか?それとも諦められないからなんとかしないといけないと考えるのだろうか?3番目であるはずがない…失笑
残念ながら、最初の諦めるということが理解できていないような気がする。世の中、なんとか最終的には自分の思い通りになるはずと、誰が考えても”あまい”という考えしか持ってないような気がするのです。でも今回、中学を不登校していたらみんなと同じように全日制の高校には行けなかった、自分が行きたかった水族館部のある高校には行けなかったという事実が彼にはどう写っているのだろう?
少しでも自分が”あまい”と感じ取っただろうか?であればなにか行動に出していかないといけないだろうに…
息子は、昔から競争心のない子でした。徒競走で女の子に負けても、5位だろうが6位だろうが1位になろうと思っては走らない子でした。良く言えばマイペースで争いごとが好きではない、悪く言えば競争心がまるでなし。この競争心がまるでないは親の私から見ても半端ではない。この人柄は大人になった時どうなるんだろう。自立や自律してやっていけるのだろうか?
この競争心の欠落だけが治れば、うちの息子は普通の子になるような気がする。世の中には、不登校生と聞くと起立性調節障害だとか、HSP・HSCとか、ADHDだとか言われることが多いのですが、うちの場合はそれではなさそうな気がする。確かにそれらの要素に当てはまるところがないわけではないが、そのものズバリでもなさそう…。不登校は本当にその子その子で原因と答えがあるような気がします。
競争心を育てる?日本では最近”悪”ともとられがちだが、あまりなさすぎるのもうちの息子のようになってします。別の言葉で言い換えれば、”負けず嫌い”にならないといけないと思う。負けず嫌いを育てる。そんな事ができるのだろうか?今更なのだろうか…