入学式であったこと
午前中、母の携帯を解約してきた。
母は、10月他界した。がんだった。がんがわかって、医者からは余命3ヶ月と判断された。
その通り、約3ヶ月で他界した。当時、お葬式などはバタバタした中進み、その間はそれほど落ち込むことなく過ごすことできた。しかし、半年ほどたった今、なぜか母のことを思い出すことが多くなった。また我が子の不登校で心痛む毎日が続くと、母は私達子供のことをどんな思い出子育てしてきたのかと考え、自分が今まで自分なりに生きてきたことを、どのように見守ってきたかと思うと凄さというかありがたい気持ちが湧いてきて、なんとも言えず胸が痛くなった。
私はそんなに賢いわけでもなく器用なわけでもないが、好奇心だけは多く思い立てば行動に移していたので、親から見れば危なっかしく心配な息子だったのではないかと今になって思う。それでも、自由にさせてくれていたんだと今になって思う。
そんなふうに思うここ数日であったところに、昨日の息子の入学式があった。
驚いたのが、そんな母が、入学式にやってきてくれた。もちろん現実ではない。でも僕や妻、息子はそう思っている。
マスクはしていたが、今回の新入生の親御さんのひとりだと思うが、そっくりな人に出会ったのだ。3人で顔を見合わせ
「お母さんがいるのかと思った」
「ばあちゃんそっくりの人がいる」
私もそう思った人物がいた。私達子供のことや、息子である孫たちのことをいつも気にかけていた優しい母であった。
偶然であり、たまたまであるが、私も思わず声をかけたくなるような人であった。
きっと、息子の入学式を見に来てくれたんであろう。ありがとう。
息子は、昨日から「明日は天気が良さそうなので、(趣味の)サイクリングに出かける。」と言ったが、午前中は寝起きも遅くダラダラし、結局お昼ごろから100km近くのサイクリングをし、夕方家に戻ってきた。相当疲れたらしく、家に戻るとまた寝ていた。
会社に行っているときは、息子のことが気になり近くにいたい、見守っていたいと思うのだが、いざ週末になり息子のそばにいれる状態の時は”しつこくしてはいけない”、”過干渉になってはいけない”と思い自分をセーブしてしまう。こんなときは、今までなら自分の時間ができたとうれしく思ったもんだが、今は何をして良いのかわからないし、何をするにも気力が湧いてこない。できることは、当てもなくドライブするか、ちょっとした散歩ぐらいである。
今回も近くをひとりでドライブしてみた。
もう、田舎では田起こしが始まっていた。麦は青く茂っていた。着実に、桜だけではなく春が街にやってきている。
我が家、そして息子に本当に笑顔で笑える春がやってくるのはいつになるのだろう。私も早くこの鬱を治さなければならない。